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RCMo絶輪o(黎明期)

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​​2013年3月某日

故Rabbit氏が「RCMo絶輪o」を設立。

数日後、マスターは前線を暫く退き、代わりにbouninngen氏をオフィサーに昇進させ、メンバー管理を行わせた。

しかし、その後、無断でbouninngen氏はマスターへ下克上を果たし新マスターとなり活動を始めて行くことになる。

ちなみに、Rabbit氏は後日、マナー違反(その他)と審議会に判断され追放されることになる。

当時は人員の確保はFC2が基本であり、常時20人ログイン体制の「わいわいクラン」として運営されていくのであった。​基本的にはクラン内戦を行っていた。

クラン公式VCはSkypeであり、平均層の中学~高校生が使用しているPCの性能上、VCとAVAの同時起動の難しさが問題として浮き彫りになっていった。

 メンバー募集からすぐに多くのメンバーが集まり、独自のクランマークを取得することも容易であった。

メンバーが増えるごとに多くの濃いメンバーが登場し、声が高いSilver18氏、独特な喋り方のquest氏、やんちゃなzyuniabab氏、動画編集が得意なVolter氏などが誕生する。

​一方メンバーが増えるほどメンバー間での紛争が多発し、この問題は後にメンバー間の方向性の乖離の加速も相まって、クランの解散をもたらす布石となっていくのであった。

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 ちなみに、人気なメンバーの下には芋づる式で分派が形成されており、クラン解散時の興隆に大きな役割を果たすことになっていく。

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​当時のクランマーク

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 2014年上半期にようやくTS3が導入された。

従前のSkypeより遥かに動作が軽く。数多くのメンバーが集うことができた。しかし、メンバー間で半ガチ勢とエンジョイ勢が入り乱れていた当時、半ガチ勢が暴言をTS3で多言するようになり、空気は冷めていく一方であった。

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ところで、当時クラン広報の動画がbouninngen氏により30分で作成されたがあまりにお粗末な出来で身内ミームと化すのにそう時間は必要でなかった。

2014年8月某日

​ ついに初代クランRCMo絶輪oの大規模分離が始まった。直接的な原因はRCMo絶輪oで初期から所属していたメンバーの半ガチ化であった。当時最大80人ほどで構成されたRCMには新規隊員の初心者と、古参の中級者が存在することで、マッチングで初心者が足を引っ張ることや、ガチ勢同士で固まった方が上達が早いこと、分離したほうが初心者は暴言に苦しまないことなど多くの分離理由が存在していた。

 そこで、マスターのbouninngen氏は当時初心者枠筆頭であったwasabi氏にマスター権を譲渡。現役オフィサーであった高官も大半が離脱し、半ば初心者群を捨て去るような形で漂流を開始していく。当然、突如骨抜きにされたRCMo絶輪oは経験不足・人員不足から2年の老衰の後に活動停止に追い込まれていくのである。

​ しばらくして、ガチ勢上位は兄弟クランRebootに吸収される。一方、元高官の半分程は新規に初代RCMのようなわいわいクランを設計からやり直しせば、再びAVAに満足できるのではないかと考え、新生RCMを結成するが、実質的な後続クランLeaPが若干早く成熟するため、初代RCMの初心者を除いた大部分は結局LeaPに集結するのであった。

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​左:RebootのTS3の様子

​右:新生RCMのHPに掲載されていた図

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​LeaP

2015年3月某日

 クランマスターZakuRo氏の元に新たにクランLeaPが結成される。最大人数は100人であり、非常に人員の出入りが激しいクランであった。

 当時はまだ少数派であった満足にVCを繋ぎながらAVAができる良質なメンバーを呼び込むために、数多くの隊員を仮入隊させ、VCに顔を出さない者は名ばかりの審議にかけられ強制除隊させられていた。この行為は高官の間では「間引き」と称されていた。

 乱暴な政策であったが、確実に良質なメンバーが揃い、数年の濾過を経て、最終的に15人前後が固まったメンバーとして活動をしていくことになるのである。

​ なお、固まったメンバー以外はVCに来なければ無害であったので、募集はしばらくの間は継続されていくのである。

右:TS3の様子(音声のみ)

右下:Discordの様子

​下:人事委員会の様子

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2016年頃

 LeaPは多様化の時期へと進み始める。

以前はMinecraftやL4D2などがサブゲームとして扱われることもあったが、未だメインのAVAが優良ゲームであったので活動としてもAVAが中心であった。

 しかし、AVAの運営方法に疑問を呈したり、平均年齢の上昇とともにバイト等で自己のPCを強化するものが増えゲームの選択肢が広がったたりしたことで、マルチゲームクランへと成長を遂げる。

​ また、RCM時代とは比較にならないほど大規模で頻繁なオフ会が各地で開催されることになり、ネット共同体から現実の共同体へと進化をしていくことになる。

2018年頃

​ ゲーム活動体から、仲間内への変化したLeaPはオフ会のみならず、定期的に隊員旅行を開催していくことになる。しかしながら、平均年齢の上昇とともに、余裕がなくなる者が増え、新規隊員を現在募集していないことを考えると、今後のLeaPの衰退は時間の問題と分析する者もいる。

 

慰安旅行年紀

2019年 長野・静岡伊豆・広島

2020年 北海道・群馬草津・三重伊勢

2021年 北海道

2022年 東京

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